Acoustic Guitar Life

松山千春が綴った北海道「大空と大地の中で」解説エッセイ

千春のフォークはユニバーサル・フォーク

「大空と大地の中で」は千春の友人が酪農にいそしむ中、事業に行き詰まり、千春に泣き言を訴えたことで生まれた曲だ。この曲は北海道の、人生の厳しさに立ち向かう友人への応援歌であるが、北海道を訪れたことのない人でさえ、その厳しさが伝わってくる。

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「しばれた」という言葉は、北海道なまりを知らない内地の人間にとって、よりいっそう寒さや凍えるありさまを想像させるものだ。「縛られた」と「しばれた」の音が近く、身動きできないほどの寒さが、直感で伝わってくる。これは「しばれた」以外の言葉では絶対に表現できない唯一のもので、音と意味が醸し出す奇跡的なハーモニーなのだ。

千春は音楽、フォークは芸術に成り得ると語っている。この言葉選びの感性はまさに詩人であり、歌に普遍性を与え、音楽を芸術にまで高めているといえる。千春の透き通った声で、伸びやかに「大空~」「広い~」と高音域で歌い上げられた瞬間、私たちの心の中には雄大な北海道の光景が目に浮かんでくる。地平線まで広がっている牧場の上に、だだっ広い大空が広がって、すべてをやさしく包み込んでいる。

だが、北海道の大自然は、優しく私たちを包むだけではない。「ふきすさぶ北風にとばされぬようとばぬよう」時には強烈な北国の凶暴性が私たちに向かってくる。このことは、万人全てに平等に降りかかってくる。これは誰もが必ず経験する人生の浮き沈みそのものだ。

「しばれて」身動きがとれなくなってしまったら、心を温めて耐え抜くしかない。汗水流して「腕前」を磨き、幸せをつかみ取るまで頑張るしかないのだ。そして、弱気になっている人に向かって、再度たたみかける。お前ならわかるだろ「野に育つ花の生命力の強さが」。誰かの目にとまることもなく、北海道の極寒の冬を越え、毎年野草は花をつけている。

手で幸せをつかむのではなく、腕で幸せをつかみ取るというのは、この野草のように、何年も何年も同じことの繰り返しの中、冬を越えて花を咲かせるのと同じことなのだ。「大空と大地の中で」を深く読み解けば北海道の大自然を描写しているだけではなく、「弱音を吐く前に」愚直に努力する普通の人々の毎日の生活を応援するという「普遍性」を持った歌であることがわかる。

千春が全国規模でファンを獲得し、共感を得ることができた理由は、まさにこの「普遍性」なのだ。オーディナリー・ソングとしての四畳半フォークが流行する中、千春はユニバーサル・ソングとしてのフォークを私たちに伝えてくれていたのだ。「大空と大地の中で」が、名曲として今でも私たちの心をつかんで離さない理由はここにあり、松山千春というフォーク歌手が本物である証明ともいえるだろう。

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